オートマティック クリミナル 高橋文樹
四月十八日の特別には思えない朝、ミトは死んだ。ショッピングモール従業員送迎バスの下に巻き込まれたのだった。無人運転の回送便で、誰も乗っていなかった。葬儀で挨拶をした香澄第八小学校の教頭は、その年の致死的な交通事故は市内で三件目、五年平均予測値を若干上回るペースだった、行政は改善すべきだ、と非難した。ハヤタにはよくわからなかった。どうということのない朝、妹のミトが、完璧に管理されていたはずの自動運転管理システムCARSEに例外的な飛び出しをして死んだ。それはあきらかにおかしなことだったが、それならば誰かがそのおかしさを前もって直しておいてくれるはずだった。あの朝は間違いだった、とんでもないことだった、と誰かが優しく肩を叩いてくれるような気がした。その期待が叶えられないと確信するまで、かなりの時間を要した。棺に収まったミトの遺体にさよならを告げ、習志野の淡い青空に煙が立ち上った日になってようやく、ハヤタはミトがもう戻らないことを理解した。
妹の誕生日から遅れること六ヶ月、十歳になったばかりのハヤタは両親に提案した。この街から出て行くべきだ。街を外部と隔てる旋回橋のたもとを通るたび、ハヤタはミトのことを思い出してしまう。グレーのリュックにピグレットのキーホルダーをぶらさげて飛び跳ねるように歩くミトが、薄暗い無人バスの下で挟まっている情景が浮かんでしまう。苦しかったし、怖かっただろう。それに、何度も何度もハヤタの中で死ぬことは、ミトにとっても辛いことにちがいない。
「わかるよ、でも」と、ママは答えた。続けようとする言葉はヒッと喉の奥で鳴って聞き取りづらかった。「海幕の外に行くことはハヤタが思っているよりずっと辛いことなの。この街の外で生きていくのは、ほんとうに……。どんなに悲しくても、ミトが笑ったり飛び跳ねたりしたこの街で生きていくことが、ミトにとっても弔いになるんだよ」
そういうと、ママはうつ伏せになって泣き出した。おもちゃを片付けないことを咎められたミトがよくそうしたように。そんな風に泣かれては、ハヤタにできることはなにもなかった。
外区居住者だったパパとママは、カイマクに住むために何度も面接を受けた。面接というのは、区役所の人たちと話をして、最後に区長の質問にうまく答えることだ。そうやって、この安全な街での生活を認められるためにパパとママが大変な苦労をした。それはよく知っていた。
それでも、ハヤタはアウトリーチになることがそんなに悪いことだとは思わなかった。アウトリーチがどんな人かは知っている。介護の仕事で、つい十年前までアウトリーチだったお爺さんを担当しているのだ。そのお爺さんはよく怒っていた。あんたみたいな小さな子を働かせるなんて、悪い国だよ、野蛮だよ。パワードスーツでの介助労働をはじめて間もないハヤタは、自分のやり方が間違っていて、どこかが痛むのかもしれないと心配した。だが、お爺さんの怒っているのはこういうわけだった——あんたは一万八千時間も労働しないと大学受験資格を取れないんだろう? そんなの間違ってる、十九世紀と同じだ——どうやら、お爺さんが怒っているのは、ハヤタの介助が下手だからとか、パワードスーツの加圧が強すぎるからとかではなく、高度な教育と福祉のために長大な労働を課す分断された社会に対してだった。お爺さんによれば、アウトリーチとしての生活の方がまだ人間味があった。人間味、という言葉はハヤタに暖かく聞こえた。そんな風に怒ってくれる人がいるなら、アウトリーチもそれほど悪く思えなかった。
「パパはミトがかわいそうじゃないの?」
ハヤタは泣きわめくママを諦め、パパに向きなおった。パパはハヤタがまっすぐに見つめると、威張ったように背筋を伸ばした。
「ミトの事故は不幸な事故だった。それでも、この街やカースを憎んでも仕方ない」と、パパは続けた。「交通事故は毎年起きるんだ。それでも、カースのような自動運転ができる前は、もっとずっと多かったんだ」
「パパはカースの味方をしてる。ミトの味方をしてよ」
ハヤタがそうパパを指差すと、パパはその手をさっと払いのけて、「人を指差すのはやめなさい」とたしなめた。
「なあ、ハヤタ、ミトの味方をしないわけがないだろう」と、パパはいったん言葉を詰まらせてから続けた。「パパもママも自分たちがした苦労をお前にまでしてほしくないんだよ」
街の運転をすべて管理するカースは要開示対象なので、そのすべてを検証するシステムかかりつけ医が存在することをハヤタは知っていた。介護職の先輩でハヤタの後見人である中学生の友くんが教えてくれたのだ。カイマク区民であれば、誰でもシステムを検証できる。
「お前まだ十歳だからな。俺が代わりに質問文作ってやるよ」
「やり方を教えてくれたら、僕だってできるよ」
「うーん、クエリは作れるけどな。大人が承認しないとクエリを投げられないんだよ。いちいち承認を待ってるの、めんどくさいだろ。俺がやればそのまま答えが返ってくるから」
仕事あがり、ハヤタは海沿いにあるトムくんのマンションに立ち寄った。トムくんの家は十五階にあって、東京湾を一望できる部屋にはデスクトップ端末が置かれていた。
「これは親父が仕事で使ってたお古なんだ」と、トムくんは高そうな革張りの椅子に座って得意げにくるくると回った。「少し古くて持ち歩けないけど、難しい仕事をすることができる。で、ハヤタの要求は……なんだっけ、ミトちゃんの事故がなんでおきたか……っと」
トムくんがクエリを打ち込むと、デスクトップに記号と英語交じりの文字が表示された。トムくんは英語で何かを打ち込み、その要約をデスクトップに読み上げさせる。
——該当する事故の発生確率は〇・〇〇〇〇〇一%、この可能性はカースが期待する正しさの許容範囲です。
「要するに、ホームドクターさんによれば、ありえる事故だったってことだな。で、あとはなんだっけ、この事故の直接的な原因はなんですか……っと」
再びトムくんがクエリを打ち込むと、デスクトップはすぐに答えを返す。
——事故現場の六四号県道から四五六号市側道へ制限速度内で左折した無人送迎バスに対し、犠牲者が車体下部へ滑り込んだためです。
ハヤタが顔をしかめたのを見たのだろう、トムくんはゆっくりと椅子を回転させ、頭の後ろで手を組んだ。
「どうする? 続けるか?」
トムくんの問いかけに対し、ハヤタは首を縦に振って答えた。トムくんは「よしっ」と鼓舞すると、クエリを続けた。
「えっと、そうだな、ミトちゃんは小学校に上がったばっかりだったから……未就学児童が無人運転車の犠牲になったケースはっと……」
ハヤタが抱いた疑問にトムくんが補う形で二十のクエリが投げられた。それによると、無人運転開始後二十年間で未就学児童が犠牲になったケースは区内で五件、これは区外の自動運転化地域の平均値に比べても五%低く、さらに手動運転混在地域に比べると六〇%と大幅に低かった。また、自動運転の犠牲者に見られる年代別傾向では、三歳から九歳まで、そして、七十歳から九〇歳までが顕著に高かった。直近の犠牲者でも六歳、十二歳、九歳、七十一歳、五十三歳……とこの分布に合致する。個々人のGPS情報は匿名化された形でカースに送られ、重要度や緊急度別に分類された上で予測精度の計算リソースを割り当てられる。カースは分散型システムとして構築されているが、速度管理を含めた安全性の向上は直近五年で頭打ちとなっており、調達コストなどを鑑みると、劇的な改善は見込めない十分に発達したシステムといえる。
「要するに、こいつはこう言ってるんだ。私たちはなにも悪くないし、これ以上よくするつもりもないってね。どうする、まだやるか?」
「カースはミトが死んじゃったことを悪いと思わないのかな?」
そう尋ねると、トムくんはふたたび椅子をくるりと回し、一回転して戻ってくると、「いいかい、少年」と切り出した。
「俺たち子供には、死ぬほどたくさんの宿題が出されてる。このまま山盛りの宿題をこなし続けているうちに、大人になるんだ。わかるか? 自分が決めたんじゃないことをただひたすらこなしているうちに、子供時代は終わるんだ。大人はそれをわかっちゃくれない。うちの母ちゃんも言ってるよ、私たちもそうだったってな。それがこなせなきゃ、アウトリーチに行ってくださいってわけだ。で、お前の場合はミトちゃんが死んで、しかもそれをしょうがないことだったって受け入れなきゃいけないっていう、とんでもないクソ盛りの宿題が勝手に付け加えられたんだよ」
トムくんはそう言いながらハヤタの肩に手を置いていた。なんだか泣きそうだったので、たぶん怒っているのではないのだろう。
「でも、カースが間違っているっていう可能性はないのかな?」と、ハヤタはトムくんの手を握り返しながら尋ねた。「ミトみたいな小さい子が死んじゃうようなシステムに間違いはないのかな?」
「お前も頑張るね。いいぜ、聞いてみるか?」
トムくんがカースのシステム検証クエリをホームドクターに投げると、とんでもなく長い答えが返ってきた。表示が画面を溢れてスクロールを始めてもまだ終わらないので、トムくんがキーを押してキャンセルをした。
「こいつが一番得意なのは、この通り、自分の正しさを証明するための言い訳なんだ」
トムくんはクエリの発行権を手にしてから何度も試したことがあるそうだ。なぜこんなに労働をしなければならないのか? なぜ大学に進学しないことがそんなに高リスクなのか? それらに対して、ホームドクターは期待する答えを出さなかった。ただ単に、受け入れなさいと答えるだけだった。
「その、みんなはどうしてるんだろう? その、なんていうのかな……」
うまく言葉が続けられなかった。どうやって受け入れればいいのだろう? 妹がある朝とつぜん死んでしまうようなことを。
トムくんは言葉が続くのを待ってから、見込み薄だと感じたのだろう、「経験者に聞くってのはどうだ」と助言した。
「なんでもそうだが、やったことがあるやつに聞くのが手っ取り早い」
「それはどうすればいいの? ホームドクターに聞けば教えてくれるかな」
「個人情報だから教えちゃくれないよ。呼びかけるんだ」
そういうと、トムくんはデスクトップの画面を切り替え、ブラウザを開いた。カイマクの市民向け伝言板が表示される。トムくんは凄まじいスピードでメッセージを書き込みはじめた。
【交通じこ犠牲者のみなさまへ】
ぼくはみーちゃんを自動運転車とのじこでなくしました。みーちゃんをなくしてから家族はとても暗くなっています。みーちゃんはぼくの下の妹です。ぼくは同じような目にあったみなさんがどうやって立ち直ったのかを知りたいです。できれば直接あって話したいのでプライベートメッセージに連絡をください。
「事故が漢字になってないよ」
「ああ、それは禁止されないためのテクニックだな。事故とか死とか、そういうことを書くとダメなんだよ。オープンノードの判定システムはバカだからな。ちょっと複雑に書くと、禁止できなくなる」
「すごいね! トムくん頭いいなぁ」
と、素直に感嘆の念を漏らすと、トムくんは「俺はもうすぐ高校生だし、お前のメンターだからな」と得意げに笑った。
オープンノードに届いたプライベートメッセージは四件、いずれも子供を亡くした親からだった。いきなりハヤタが訪問すると相手の家庭が児童略取の疑いをかけられる危険性があったので、トムくんが同行してくれることになった。トムくんにとって唯一の週休である日曜日を一ヶ月に渡って潰してくれるという。
どの家庭も妹を亡くしたハヤタに対して同情的で、とりわけ母親はみんな涙した。小さい妹を思って行動するハヤタの姿が胸を打ったのだろう。碇さんという家庭の母親は、終始落ち着いた雰囲気だったが、同行するトムくんの年齢を聞いた瞬間に崩れ落ちた。そして、ひとしきり激しい嗚咽を漏らしたあと、涙を拭って告げた。
「もしあの子が生きていれば、あなたと同じ年齢だったんです」
日曜日の午後、四件すべての訪問を終えたハヤタは、海浜公園のスケボー広場に腰をかけしばらく考えた。トムくんがおごってくれたカルピスに少しずつ口をつけながら、自分もあの親たちのようになってしまうのだろうか、と。みんな傷が癒えていないように見えた。落ち込んだままの自分の両親とも重なる。
「トムくん、あのおばさん、死んじゃった子はトムくんと同じぐらいだったって言ったね。僕より五歳上だ」
「そうなるな。あれはきつかった」
「うちのパパとかママよりちょっと上ぐらいの歳だったね」
「おまえんちの親って幾つだっけ?」
「五十……二歳だよ」
「ずいぶん歳いってるな」と、トムくんは目を丸くした。「うちの親、まだ三十八歳だぜ。普通、大学院行く前ぐらいで子供生まれるんだろ」
「うん、うちのパパとママは苦労したから、子供を持てるのが遅かったんだって。それでちょっとおじいちゃんおばあちゃんっぽく見られるのが嫌だったんだけど……なんていうのかな、みんな同じぐらいの歳だったね。碇さん以外のところも」
隣で座っていたトムくんは、カロリーゼロのコーラを飲んでから、「それがなんだよ」と続きを促した。
「だから、カースはその年代の人の子供を無視してるんじゃないかな。だって、GPSで見張ってるんでしょ? だったら、ミトみたいな小さい子供が近くを歩いていたら、危ないって思うのが普通じゃないか。いくらミトが元気だからって、機械より早く動けないよ。ミトが見えない場所にいて……カースは気づかなかった。それで、事故になったんじゃない?」
トムくんはピンときたようで、コーラを一気に飲み干すと、「行くぞ」と走り出した。
転がるようにトムくんの家に入り込む。トムくんは少し残ったコーラを床にぶちまけたのも気にせず、デスクトップへと矢継ぎ早にクエリを発行した。カースを開始してから亡くなった人およびその保護者の年齢は? 平均的な交通事故死者およびその保護者の年齢は? 両者の分布の乖離は? その乖離の許容度は? 大量の文字が画面を流れて、その度にトムくんがキーボードを叩く。
「ハヤタ、おまえ天才だな。ビンゴだよ」
トムくんはそういうと、画面に表示された異常値を示すのだろう赤い文字を示した。
「子供が犠牲になる確率はたしかに高い。でも、一九九〇年代から二〇一〇年代に生まれた人間の子供が犠牲になる率はさらに高い。面白いのは、親は無事だってことだよ」
「なにが面白いの? 人が死んじゃったっていうのに」
「そういう意味じゃない。だから、おまえのいう通り、カースのシステムには欠陥がある可能性が高いってことだ」トムくんは少し興奮しているようだった。「ちょっとこれ、発表してもいいかな? 俺名義で」
「メイギって、どういうこと?」
「だから、俺の名前でBCCに公式に発表するっていうことだよ。なんていうのかな、BCCってのは、ブロックチェーン・コントラクトで……要するに、そこに書いておけば、俺が最初の発見者ってことになるサイトだ。たぶん、カース始まって以来のスキャンダルになるぜ。ホームドクターも嘘つきだ、ってな。ざまぁみろ」
そういうと、トムくんは凄まじい勢いでBCCに検証結果を書き加えていった。
【海幕特別地区における自動運転管理システムCARSEのGPS重み付け欠陥】
神田友
サマリー
二〇五二年三月に発生した児童交通事故死について検証したところ、カースに次のような欠陥があることがわかった。カースは個人および車体のGPS情報を元に分散型リスク計算システムを採用しているが、この重み付けについて、致命的な欠陥があることが判明した。一九九〇年代〜二〇一〇年代に出生した区民の子供というクラスタにおいて、顕著な偏りがある。検証のためのクエリは次の通り……。
「明日、誰かがウェブに転載すると思うから、そうすると日本中巻き込んだ大スキャンダルになるぞ」
申請ボタンを押したトムくんは満足げにいうと、ハヤタのことを抱きしめた。
「おまえのおかげで、アメリカの大学行きも見えてきたかもしれない」
何がトムくんをそんなに興奮させるかわからず、ミトのことについて何かが解決したのだろうと推察することが精一杯だった。
その後、トムくんから続報はないまま二日が過ぎ、水曜日に介護の職場で話しかけても、はぐらかされた。トムくんはなんとなく気まずいようだった。なにかを隠しているのだろう、夕方休憩時に追求すると、きょろきょろとあたりを見回して、「海浜公園で話そう」と耳打ちしてきた。
「あのあと大変だったんだぜ。区役所の情報開示課がうちにきてさ」
トムくんによれば、情報開示課の職員が月曜の深夜、家に直接来て、こうした情報発信を続けるのであれば、BAQの発行を取り消すという脅しをかけたそうだ。BCCへの書き込みは撤回として上書きさせられた。間違った情報であることを公式に認めさせられた形になる。
「俺もアメリカの大学行く目標あるからさ。高校前にBAQレベル下げられると、取り返せないんだよ」
「でも、そんなに隠すってことはまずいことがあるんじゃないの」
「とりあえず俺も調べたんだけど……」と、トムくんはきまり悪げに答えた。「おとり世代って呼ばれてるらしいぞ」
「それは、なに?」
「親に直接聞いてみてくれよ」
トムくんは何かを隠しているようだった。職場からの家路でハヤタの頭は悩みでぐるぐると回っていた。たぶん、あまり良くない言葉だ。ミトが死んじゃったあと、嫌な言葉でパパとママを嫌な気持ちにさせるべきだろうか。悩んだが、そういうときの答えは決まっている。ミトの味方になることだ。
ハヤタは玄関を開けた瞬間に「おとり世代ってなに」と、パパとママにぶつけた。パパは「そんな言葉どこで覚えたんだ」と声を荒げたが、トムくんとの調査について説明すると、なかば諦めたように話し始めた。
パパやママのように、一九九〇年代から二〇一〇年代に生まれた人々は、「おとり世代」と影で呼ばれている。それは二〇二二年に施行された個人情報利活法のためだ。特定の健康状態や知能、遺伝要因などを元にしたリスク因子がローンや奨学金の審査、受験、就職など様々な場面で活用されるようになった。それ以降に子供を授かった夫婦の六十パーセント以上が選択的人工授精を選ぶようになり、中流以上の家庭ではそれが一般的になっている。そうした選別を経ずに生まれた世代は、成長してからも事あるごとに劣った世代だとみなされ、「おとり世代」と揶揄された。カイマクのように税金の高い排他的居住区では、教育や福祉で高度な行政サービスを受けられる代わりに、選別を経ていない住民は二代に渡って高額な税金を収める必要がある。ハヤタがBAQのために求められている一八〇〇〇時間というのも、通常の子供の二倍だ。「劣った」人々のうち、高いハードルを超えた者しか、残ることができない。もしあと十数年して、ハヤタがきちんとした選別を受けた子供を残せば、その子は安全な街に暖かく迎え入れられ、幸せに生きられる……。
「それは嘘だよ」と、ハヤタは言った。
「嘘じゃない。大人になればわかる。辛い人生を子供に歩ませたくないと思うのが普通なんだ」
「嘘だよ。だって、ミトはその安全な街で死んじゃったんだから」
ハヤタはそういうと、家を飛び出して、トムくんの家へ向かった。
「なんだよ、もう全部話したぞ。うちの親ももう帰って来てる」
「トムくん、前に証拠になるサイトがあるっていってたよね。なんか、メイギがなんとかって。カースのこと書いて怒られたやつ」
「ああ、BCCだな。大学に所属してないやつが論文を発表するのに使うんだ」
「それって簡単にできるの? これからなになにします、って言ったら証拠になる?」
「まあ、簡単にはできるけれど、未成年だったら法律的な効果はないぞ。ただ、ある時点で本当に書いたかどうかの証拠にはなるけどな。つまり、未来の予言をしてた証明はできる」
「じゃあ、これからこう書いてくれない? 出井ハヤタは十二月十二日にカースのせいで無人バスに轢かれますって」
「は? 自殺予告か?」
「自殺じゃないよ。ちょっとぶつかるんだよ。ぼくはおとり世代の子供なんでしょ。だったらきっと、カースはぼくのGPSを見てない。だから、ぼくはいまから自分がバスにぶつかって、それを証明してみせる」
トムくんは少し考え込んだ。
「おい、ほんとにやるのか? なんでそこまでやるんだ」
「この街が間違ってるからだよ」
トムくんは口元をニヤリとさせると、ハヤタの肩を叩いた。椅子に座り、BCCのアカウントを開く。
CARSEのGPSシステムが間違っていることの証明
神田友
出井ハヤタくんに頼まれて書くのですが、彼はGPSシステムが動いていないことを証明するためにカイマクのバスに轢かれるそうです。場所は秘密です。
「よし、じゃあ行こう」
トムくんが申請ボタンを押した指が離れるより前に、ハヤタは駆け出した。旋回橋のたもとまで向かい、側道の脇で時刻表を検索しながらバスを待つ。ミトを轢いたショッピングモールの送迎バスと同じルートを区営バスが通るはずだ。そのバスがきたら、タイヤの前に足を滑り込ませる。きっとバスはハヤタの足をへし折って、その無能を証明するだろう。
「おい、来たぞ! 絶対死ぬなよ。足だけにしとけ!」
トムくんの言葉通り、旋回橋を走ってくるバスが見えた。左折のタイミングで、バスの死角から走り寄り、さっと足を出す。足の甲が折れるくらいで済めば、上出来だ。ハヤタは訪れるだろう激しい痛みに備えて目をつぶったが、大きなブレーキ音が聞こえただけだった。
——飛び出しにご注意ください。過料を請求します。三メートル離れるまで、この車両は停止します。
携帯の通知音が鳴った。自動運転車を邪魔したと見なされたのだろう、二千円分のペナルティが労働時間から引かれている。
「なんで止まったんだろう?」
ハヤタはトムくんに向けて問いかけた。トムくんはしばらく考え込んでから「システムに修正が入ったんじゃないか」と呟いた。
「たぶんだけど、俺が以前公表した情報があっただろう。あれで脅迫は来たけど、けっきょく間違ってると思って修正したんじゃないか。カースがおとり世代を差別してるわけだからな」
「じゃあ、もうミトみたいに死んじゃう子は出ないかな?」
「それはどうだろうな。でも、意図的に排除されることはないんじゃないかな」
ほんとうだろうか。ハヤタは少し悩んだ。
「おっと、悪い知らせだ」と、トムくんは携帯のスクリーンを見せた。「俺からもなぜか二〇〇〇円のペナルティが引かれている。ジュースの奢りはなしだ」
*
四月十八日の朝は出井ハヤタにとって特別だった。大学の情報学部修士を取ってからはじめてカイマク区役所情報課の職員として、カースのメンテナンス業務に携われる日だ。しかも、区民向けに開放されたホームドクターではなく、秘匿情報をすべて扱える正真正銘の診断システムを利用できる。
中央端末室に入ったハヤタは、トムくんがしていたように、矢継ぎ早にクエリを投げた。十五年前のあの日、なぜバスが止まったのか?
ドクターが返した答えをみて、ハヤタはため息をついた。あの日バスが止まったのは、おとり世代の子供への差別をやめて、GPSの監視対象にしたからではなかった。計算リソース削減のために優先度の低い対象のGPS監視を節約すると、カースの評判が落ちるような悪評被害のリスクが高まるためだった。プログラム上しかたなしに止めている、というわけだ。それこそ、呪いのように。
いずれにせよ、風評で埋まる程度の差分しかでない要素なのであれば、そもそもおとり世代を差別する意味がない。自動運転システムで属人的な要素を高く評価するのは、端的に間違っている。この間違った街では、まだまだやるべきことがたくさんありそうだった。
ハヤタはリスク評価ロジックから、特定世代分類を削除するコマンドを発行してひとりごちた。
「だからお前のことは嫌いなんだよ」